テクノロジーで生まれたツールを使えば、弾けない人でも、歌えない人でも、楽譜もコードもわからないような人でも、りっぱな曲がつくれてしまう時代がいつの間にか来てました。そしたらやっぱりCDのような作り物は売り物にならなくなって来るわけです。
「体験」は尊い。人の手で奏でられるおんがく、それを生で楽しめる機会と空間。尊いよ。そして今そのような場にいる知人や仲間を心から尊敬します。
さあさ、だらだら書こう。
かれこれ20年くらい「うちこみ」と呼ばれる手法を中心におんがくをやってきました。
シーケンサーと小さなシンセから始まり、今はパソコンでDAW。でも、できるだけ自分の手で弾くパートを入れて来ました。
なんというか、どこかに揺らぎやうねりのようなものがないと、おんがく的でない気がして。
ちゃんと習ったりしてないからへたっぴだけど、ギターとかベースとかピアノとかを自分で弾いて、うちこみの曲に混ぜてやると、やっぱりどこかいい感じになるんです。
曲をつくるときは毎回、自分にとってちょっと難しいフレーズを入れます。何度も弾き直し、録り直してるうちに自然にちょっとずつ上達して・・・。
──懐かしい。
大容量のソフトウェアサンプル音源が普及した今。
例えばピアノなんか、その辺のハードシンセじゃ歯が立たないほどリアル。下手に近場のスタジオに録りに行くよりも、ソフト音源鳴らしちゃった方がずっとリッチな音が得られてしまう。
…そうなって来るとどんどん楽な方に進んでしまう。宅録とか出かけて録るとかやめてしまうし、ギターだけは手弾きに限るけど、いっそギターなんて入れないアレンジにしちゃえと。本業も家事も忙しいしさ。
そしたらいつしか、自分の編曲なのに1曲とおして弾いた事がない、という曲がいくつも出てくるようになってしまった。
一夜漬けのつぎはぎアレンジなんて、もう、すぐ忘れちゃう。
練習も足らないから、どんどん腕が落ちて、なおさら。
自分の編曲が、演奏が、弾けないのです。
もう昨年だけど、Stainwayのアップライトに触れる機会があって。
とってもありがたい、サプライズ的なリクエストで、弾かせてくれたんです。
しかしいわゆるビンテージで「ホンモノの楽器」であろうそれは、おそらく弾く人を選ぶんだろうね。
我流なうえにすっかり鈍った俺にはとてもとても手強い弾き心地。
まともに「鳴らす」ことができなかった(あれをキラキラ鳴らせたら、本物だな)。
楽器を弾くというのは、リズムに合わせてスイッチを押す作業ではなく鳴らすものだと再認識した。悔しかった。もっと弾けたら、鳴らせたら、と。
年末に、ピアノ買っちゃいました。
これ何かあったら真っ先に差し押さえじゃねーのってくらい経済状況に逆行してるけど。
もちろん生じゃなく、ステージピアノという部類の、そしてRhodesと同じ73鍵のコンパクトなものを。
今どき珍しく日本製の、低い音ほど重く、しっかりした鍵盤。なかなかいい。
これで人前で弾けるくらいになれたら。
吸収と鍛錬。そしてもっと自分の手を動かして奏でる、そんな年にしたい。
毎晩、子どもが寝てから、ヘッドホン付けてコトコト弾いてます。久しぶりの感覚。楽しいよ。
(鍵盤のコトコト音も、賃貸集合住宅では気をつけなきゃいけないのかも…)
※書き溜めていた文章から起こしました。